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TAIYO'S TODAY TAIYO'S TODAY

近年の中国は、ものすごい勢いで発展を続けています。中国事務所のスタッフからの話を中心に、 中国における様々な変化や情報を、こちらのコーナーにコラムとして掲載しています。



2009-4-15 Update

「中国コラムについてお知らせ」

3月まで、中国3拠点(上海・北京・広州)の駐在員による中国の最新の情報、事業内容等をコラムにて掲載させて頂いておりましたが、 2008年10月に設立致しました、弊社100%子会社の「上海太洋栄光商業有限公司(SHANGHAI TAIYO EIKO CO., LTD.)」より現地社員による、最新の情報を皆様にお届けさせて頂きます。お楽しみに♪ 今後も中国コラムをご覧頂けますようお願い申し上げます。    

上海太洋栄光商業有限公司
「上海太洋栄光商業有限公司」のHPはこちらから





2009-3-18 Update

「羊城日記(4)」


3月に入りここ広州も季節の変わり目なのか日によって寒暖の差が激しく小生も 少々風邪気味であります。一年を通し寒暖の差があまり大きくないところであり ますが、この時期さすがに日々の寒暖の差が大きく、少しく体調を崩したようで あります。しかし嬉しい事に日本と違い杉系の木々が少ないのか、日本ではあれ だけ苦しんだ花粉症がまったく発症しません。気候的には日本の晩春から初夏の 陽気を繰り返しこれから本格的な雨季に入ります。

当地でも世界同時不況による景気悪化は否めません。が中央政府・省政府や市政 府など矢継ぎ早の景気対策が速やかに打ち出され(広東省では悪化する不動産業 救済のため優遇税制が布かれ昨年より不動産投資が増えております)荒っぽい政 策ではありますが、日本政府もこの危急存亡の時は見習うべきであります。

当地 に赴任し、早1年近くになろうとしておりますが、この影響は我々のビジネスに も浅からず影響を与え、特に自動車産業を支えてきた日本の技術者らの帰任が多 く見られます。某大手自動車メーカーさんなどは日本からの技術者を200人以 上減らすとのこと。 そんなお寒い状況ではありますが、深センなどでは光明新区など新たな工業団地 を次々に造成しており、ここ広東は中国有数の工業地帯であり、また自動車産業 などの基幹産業だけでなく、今後は先端産業などの育成にも力を入れている状況 です。

今回、広州からは最後の投稿となります。4月からは当社が去年立ち上げた100% 子会社である上海太洋栄光商業有限公司の仲間たちより、中国における経済・文 化の最先端を突っ走る上海の現状をリアルタイムにてレポート致します。          


  

     
                                                 from 広州


2009-2-16 Update

「春雨は油の如く貴重である」


春雨は油の如く貴重である 中国のことわざに、「春雨は油の如く貴重である」というのがあり、春雨の如何に 貴重であるかを形容している。わが国の華北地方は、春季の干ばつが極めて深刻で、 春雨は前年の降水量の10 ? 15%にすぎない。ある地方では10%にも満たない。 春季は、秋季、冬季の雨が少ないに季節にひきつぎ、さらに気温の上昇により、 風が強く、蒸発が強烈で、往々にして連続した干ばつをひきおこす。同時に、 この時期は、越冬した作物が青みを増して熟成するために、多くの水を必要として いる。とうもろこし、綿花などの種から苗に育つのにも、多くの水が必要である。 このときに、もしも雨が降ってくれば、非常に貴重なものとなるため、春雨は油の 如く貴重であるということになる。

今年の北京は、干ばつが比較的深刻である。連続して降水のない日が110日となった。 全国で最も連続して雨の降らない地区となってしまい、北京の農作物の生育に困難 をきたしている。 ボヤボヤとしているうちに、新年が過ぎ、休暇の間も散漫にため息をつくうちに過 ぎてしまったが、カレンダーは冷酷に時を刻むだけであった。立春から数日がすぎ、 日に日に気温が上昇し、おてんとう様は冷酷にも一度も雪を降らせることさえしな かった。もしも雪でなければ、雨でもいい。なんでもいいから、潤してほしい。 もともと、雪と雨は、双子の姉妹のようなものであり、天の子供である。

2009年2月12日午前10時30分、北京にようやく待望の雨が降った。111日の無水記録 の終結である。これは天が我々に授けた無類の甘露であり、万物に潤いをもたらし ただけでなく、秋の収穫に期待ができた。 どんなに待ち望んだことだろうか!それは優雅で、幸運なものである。 小正月の夜は、人の目を奪う花火と灯篭を除き、農民は温厚篤実に素直に心から 喜んだ。 今回の雨は、それほど長くは続かず、「春雨は油の如く貴重である」ということわざ の通りである。北京は、干ばつがすこし緩和されたが、まだまだ不足している。 空気の浄化や湿り気を与えた。だから、我々はもっと多くの春雨が万物に潤いを 与えてくれることを期待しているのである。


  

     
                                                 from 広州


2009-1-15 Update

「羊城日記(3)」


ここ一ヶ月余り、広州も最高気温が20℃を切り時たま北からの冷たい風も吹き、 街並みも冬らしい様相を呈してきました。日本では新年を迎え新たな気持ちで皆様お仕事、 学業などに打ち込んでおられることと思います。
しかしです、ここ中国ではまだ新年好!じゃないんです。まだ晦日月、忘年会もたけなわなんです。 皆様もご存知の通り中国や韓国 などの国々では未だに太陰暦に基づいた祝日(通常は我々が用いる太陽暦を使用しておりますが) を使用し、ここ中国では一年で一番長い待ちに待った休暇である春節が始まろうとしております。 それは大体1週間から10日の休暇期間となります。

   民族の大移動というか、大都市空洞化現象というか、地方からの出稼ぎ労働者達が春節を祝 うため故郷へ帰省していくのであります。それに伴い日ごろ活気のある大都会は目抜き通りも閑散 として寂しいかぎりの情景となります。しかし広州では大晦日前の3日間に花市が市内全域で行わ れ活況を呈すようです。また、花市の期間は一般の人達も自由に花の売り買いが出来、その遣り取 りが広州の風物詩となっているようです。

   今年は去年よりの不況もあり、広東地区でも倒産件数が1千社以上と高度成長を続けてきた 中国にとって試練の年となっております。しかしながらその反面、深センだけでも起業件数が昨年 だけでも三万社強とまだまだ奥が深い国であるようです。設立された企業もサービス業等が半数と 落ち込んでいる海外向け製造業は差し置いて、内需拡大にまい進しているようでもあります。  暗い話は吹き飛ばし、小生も大晦日に金運・出世運をもたらす金柑、水仙や桃の花でも買って部屋 に飾り、この不況を吹き飛ばしてしまおうと思う今日この頃であります。

  

     
                                                 from 広州


2008-12-16 Update

「FHC China2008開催(国際食品博覧会CHINA)」

International Exhibition of Food, Drink, Hospitality, Foodservice, Bakery & Retail Industries

12/4〜6に上海で世界の食材、飲料、レストランサービス、焼菓子、食品加工機械などを展示する 国際博覧会がありました。毎年この時期に開かれますが、 今年は第12回となり、出展国も、日本、韓国、シンガポール、アメリカ、イタリア、スペイン、 オーストラリア、ドイツ、等々たくさんの国々が参加していました。来場者も日本、中国などの東洋人を はじめ、ヨーロッパ、アメリカなどたくさんの国の人々が来場していました。われわれ日本だけでなく、 欧米世界各国の食品関係企業も、中国13億人の食卓をターゲットにビジネスを強化している様子が伺え ました。

出展が多かったのは、最近上海でもかなり見かけるようになったワインやチーズ、またそのほかには、 パスタなども見かけ大変盛況でした。日本ブースでは日本酒や佃煮、お菓子、酒のつまみなど、 日本の特色ある食材が展示されていました。 金融危機で、世界的に景気が悪くなり消費が低迷する中、やはり中国での消費拡大を見込んで、 各国ともに凌ぎを削る商談(戦い)が繰り広げられていました。我々も彼らに負けないよう社員一丸と なって中国ビジネスを展開しなければと改めて思いました。

  

                                                 from 上海現地法人



2008-11-18 Update

「オリンピック以後北京市民が最も注目している問題は何でしょう?」

北京市の民意調査会社の調査によると、オリンピック後に市民が関心を向けている問題は 「環境保護の問題」で、
9割以上の市民が強い関心を持っていることが分かりました。 調査の結果は非常に喜ばしいものでした。これはクリーンなオリンピックの理念が次第に人心に刻 み込まれていった一つの証明です。クリーンなオリンピックは科学技術、人文を筆頭として、その他広い 分野で重要な役割を果たしたといってもいいでしょう。オリンピック開催期間、クリーンなオリン ピックの宣伝において、多岐多様な公益広告が出されました。

これ以外にも、クリーンなオリンピックを具現する活動の一環として、環境の緑化と美化、 オリンピック競技会場の建設の省エネと消費資源の減少、空気の清浄化の実施などが行われました。 これらの全てひとつひとつがクリーンなオリンピックの成果を人々が享受し、かつ市民に直接的な 影響をもたらすことになりました。調査の結果は、新しい期待が持てるものといえます。 市民が環境保護に対し、このように高い関心を示したのは、たいへん良いことであります。

環境保護は、 政府・主管部署それぞれの職責がありますが、ひとりひとりの市民が気を つけなければならないことでもあります。環境保護は、すべての人が注意をしなければなりません。 膨大な市民が環境保護に関する関心をもたなければ決して実現できるものではありません。 このため、私たち、環境に関心のある9割の市民が、まずはスーパーのレジ袋を使わない、 車の運転を控える、草花や樹木をやたらに荒らさない、水、電気、紙などの資源を 節約するなどといった小さなことから始めることが環境保護につながる第一歩だと考えます。

                                                 from 北京事務所


2008-10-15 Update

「上海の水道水」

中国の水道水は飲まないほうがいい。はじめに中国に足を運ぶ日本人は旅行社からこういう話を 受けるはずです。皆さん方もこういう経験があるでしょう。確かにこれは一般的に広く知られている ことで、上海に住む我々も当然のごとく、有料のペットボトルの水や、家庭用給水器の水或いは 浄水器を通した水を飲用・使用しています。もちろん、中国の人々は昔ながらも生水を直接飲む 習慣がなく、必ず沸かして飲むのが普通です。

一方、日本では、蛇口から出る水道水は当然のごとく、 普通に飲用します。中国で以前、家庭用給水ボトルに中身を入れ換えただけの、偽飲料水が話題と なりました。テレビ番組でも、局の特派員の方が、お金を払って有料だから、うちのボトルの水は 安心と言っていたものが、実は、悪徳業者によって中身が入れ替えられていた商品だったという、 番組での話もありました。つい最近のことですが、台湾の大手メーカである康師父飲用水は普通の 水道水を直接ペットボトルに注入して販売したのが発覚し、話題となりました。中国の場合、 模倣品や粗悪品も多く、我々消費者も警戒しながら自分の判断で、商品を購入しなければなりま せん。結局のところ、安心、安全を自分自身で、判断しなければなりません。 上海の水道水は、配管の老化で配管汚染の原因が多いそうです。

上海市の発表によりますと2010年までに上海では水道水を直接飲めるようにするとのこと ですが、それでも生水を直接飲まない習慣は一気には変わらないと思います。 中国市場においての水のビジネスは拡大すると言われています。中国のスポーツドリンク市場 だけでも2007年にすでに125元(約1875億円)位で、 10年先には飲料水の市場は1000億元(1兆5千億円)に達するといわれています。この中には巨大な 商機が潜んでいるのではないでしょうか。 evian、Volvicなどは中国のミネラル水の10倍近い値段で売られているのが普通です。 中国の商品は、安い商品が多数ある一方で、安心・安全を考えた場合は、オーガニック商品など のように日本以上に高いコストを支払わなければならないケースも数多くあります。もちろん、 財布の中身も厳しいところですが、体の健康のためであり仕方ない状況も少なくありません。

これからは中国も日本も安かろう、悪かろうではなく、安全・安心、品質の高い商品にはお金を 出して購入するという意識に、徐々に高まっていくのは間違いないでしょう。 我々はこれからも安心・安全で高品質な商品を皆様に提供していきたいと思います。


  

     
                                                 from 上海事務所



2008-9-16 Update

「羊城日記(2)」

広州に着任しはや3ヶ月強が過ぎました。最初に訪問したときから今現在まで毎日30度以上の 日々が続き万年夏ばて状態です。直射日光はさすが北回帰線の直下だけあり晴天の日は凄まじいもの があります。特に最近天頂が寂しくなってきた小生にとって強烈な日差しが容赦なく降り注ぐ日々は しんどいものがあります。そんな時急激に温度を冷やし、お日様を遮ってくれる雷雨はありがたいこ とでもあります。今年の冬は有史以来の寒波とその後の洪水によって華南地方は大きな打撃を受けた ようでが、今年の冬の反動か春から今に至るまでの間平均降水量が平年の50%から70%となり、 秋以降の水不足が懸念されております。

広州市のお隣である東カン(草冠に完)市などは日系企業も含め世界中から合弁企業が進出しており 将来の工業用水の確保が懸念されております。最近日本でも地下水の工業用水への転用が水資源問題 になりつつあり、水の華南と言われる割には飲用及び農工業用の水資源が不足しておる次第でありま す。なにせ雨が降るときは極端に多くすぐに洪水となり諸々の工場は操業停止になり 「稼動1ヶ月停止」などの記事が今年は見られ折角の雨がうまく利用されていないようでもあります。 特に飲用及び工業用水の確保が急務と思われます。また水資源と環境問題は切っては切れない連鎖的 問題のひとつでもあります。

急速な経済成長が今まで続いてきた中国でもやっと最近環境問題について前向きの姿勢が診られるよ うになってきつつあります(先進諸国からの圧力もありますが)。公害などに対しても住民からの 苦情を受け付ける機関が地方政府の中でも見られるようになり日本ほどではないものの徐々に 環境問題について真剣に取り組む姿勢が現れています。我が日本でも高度経済成長期に公害や 環境問題に対し現在まで高い代償を払ってきました。 日本のような反面教師(環境問題に対しては)がいるのですから中国もこれからの成長面において 日本の轍を踏まないような経済発展を期待している次第であります。 少々お堅いお話になってしまいました。 次回は「食は広東にあり」ですんでグルメ紀行でもと思っております。


  

     
                                                 from 広州事務所


2008-8-15 Update

「北京オリンピックの印象と感想」

8月8日の開会式から既に数日経ちました。人々は興奮を抑えきれずに開会式の盛況を 議論し、まるで開幕式が先程終わったような気持ちになっています。すべての画面は いまだにありありと目の前にあるようです。今回の開会式は本当に素晴らしく、 開会式の前に会場の上でカウントダウンの数字が絶えず変わるのにつれて、 花火の火をつけて放ちだす29の足跡が古い北京の永定門城楼から次第にメイン会場の “鳥の巣”に向かいました。第29回オリンピックがついに北京に来たことを告げています。 “鳥の巣”で火をつけて放ち始める最後の1本の足跡が会場の中央に落ちた後できらめく 金色の光がオリンピックの五環の旗になって、精巧で美しい感じを醸し出しました。 開幕式の広大なパフォーマンスは5千年の歴史の深い文化を演出しました。 孔子の3千の弟子の論語の詠唱にそって、画面の上で絶えまなく“和”の字に変化しだ します。それは中国人が調和に対する深い理解と平和への永遠の願いを表していました。 中国がそれぞれの国家の文化を受け入れることを望むと同時に中国が国際大家族に溶 け込むことを望んでいます。“私とあなたの気持ちが通い合って地球村に居住して、 千里の道をたどって北京で会って、友人よあなたの手を伸ばして、私とあなたは気持ちが 通い合い永遠に一家の人”と開幕式の主題歌の中で歌われました。

現在の北京ではほとんどの場所が、オリンピック一色になっています。 空港を出ると至る所すべてにオリンピックの看板と広告が見られます。 統一したユニフォームを着たボランティアがおり、それほど苦労しなくても知りたい 情報をゲットできます。タクシーの運転手は統一する服装に着替え、新しい気持ちで 世界各地からの客を迎えます。多くの自家用車も中国の国旗とオリンピックの五輪の旗を 掲げていて、北京大通りと路地を走っています。オリンピック開催を祝う雰囲気が漂って います。多くのレストランやバーはすべてテレビを備え付け、食事をとるお客がいつでも オリンピックの試合を観戦することができます。夕方、人々は友人と約束してバーに来て 試合を見ながら、当日の試合の素晴らしい場面を議論して、オリンピックを満喫します。 毎日試合を生放送するのは7or8のチャンネルがあり、家庭でも全ての試合を観覧することが できます。要するにどこでもオリンピックの濃厚な雰囲気を感じることができ、 北京の市民は各国の来賓の情熱を感じます。

今回のオリンピックを中国で開催することにより、世界により一層中国を理解して もらえる機会となり、中国と世界の距離を近づけました。オリンピック後の時代の到来に、 中国が平和に発展の時期に入ることに違いありません。科学技術のオリンピックの理念を 通して、科学技術の新機軸に基づいて経済を発展させます。オリンピックの観念を通じて 世界の各国人民との文化交流を増進して、より一層人の存在価値を再認識しています。 クリーンなオリンピックを通じ絶えず環境を改善し、省エネと排出削減の実現が経済を 発展させると同時に、最大限に環境を保護して地球村のこの大家族の共同発展のために 貢献をすることでしょう。



  

     
                                                 from 北京事務所


2008-7-15 Update

「上海の朝」

上海の梅雨が明けた。上海は、緯度で言うと鹿児島とほぼ同じ地理的位置にあり、 梅雨明けは東京よりも若干早い。しかし、その暑さは半端ではない。 体感温度は、華南地域とは違った暑さがある。北京オリンピックまであと1ヶ月を切り、 何かとあわただしい日々が続く。 上海はGDPが全国一で、高所得者層の大都市というイメージがあるが、 大部分の庶民の暮らしは意外と質素である。

上海は、中国一きれい好きな都市である。朝になると街はきれいになっている。 強烈な太陽の光が降り注ぎ暑いが、初夏のすがすがしさを感じる。夜のうちに町内の人が路を箒で掃いて、道端のゴミを片付けるからである。朝もあちこちでゴミ収集車がゴミを集めている。 街がきれいだから、車窓から煙草の吸殻や紙くずを捨てる人は見ない。 スーパーやコンビニが随分庶民に定着したが、スーパーが開店する前に街の中に菜市場 (野菜だけでなく、肉や魚などの副食品を売る市場)の朝市が活気を呈している。 市場に入った途端に何ともいえない独特な強烈な匂いがするが、すぐに慣れてくる。 野菜はスーパーの様に価格が提示されているわけではなく一斤単位で売られている。 以前は秤が旧式の天秤式のため、公平を期して公平秤というものが使われたが、 今はデジタル式になっている。野菜や果物はスーパーよりも新鮮で安い。 市場のおばさんと顔馴染みになると値段を少しまけくれる。うかうかしていると、 あれも これも どうかと、熱心に売り込みをかけてくる。たいした金額ではないが、 ついつい余計な買い物をしてしまう。

上海の庶民の朝食は、意外と外食が多い。一杯10元のラーメンやファーストフードが朝早くから開いている。冷房の無い店内に入ると、まず食券を買う。試しに冷麺を注文して食べたが意外とおいしい。13元だった。肉饅頭や野菜入りの饅頭や豆乳を買って歩きながら食べているOL風の人も結構見かける。これらの肉饅頭は一個1元だったが、最近1.50元に値上げされた。列ができるほど人気がある店もある。これらの店の食材は出所が知れないのでなるべく利用をしないようにと地元の知人に言われたことがある。・・・が、おいしそうな湯気を立てていたので、やはり買ってみた。 店の奥で何人かの職人が小麦粉を練っているのが見える。手作りの肉饅頭だ。 マズイわけがないと思った。大きな蒸篭から蒸気が吹き上がる。店の人から蒸したての肉まんを受け取り、そのままほお張った。若干の塩気と肉汁が口の中に広がる。身体の中から温まるのはいいが、 次の瞬間、全身から汗がでる。色々な思いが頭の中をかけめぐる。 上海に降り注ぐ太陽の光を全身で受け止め、その思いを仕舞い込み雑踏の街に消えた。


 

     
                                                 from 上海事務所


2008-6-16 Update

「羊城日記」

広州に赴任してまだ間も無い小生のここでの第一印象を述べてみましょう。それは白雲国際空港に降り立った時のこと。 窓越しに見る外の風景になんと椰子の木やバナナの木が整然と並んでいるではないか。そして表に出てみた時の暑さと湿度の高さ。 まだ4月上旬なのに!!「ここは温帯ではない。少なくても亜熱帯であるな」これが小生の広東の第一印象である。 メタボで汗っかきの小生にとってはシンドイ日々が待っているような、東京では思いもしなかったような一抹の不安を覚えた事を今でも忘れておりません。

しかし街中は緑が多く小生が通勤に使う裏道にはマンゴーの木々が街路樹として植えられており、ちょうど今頃どの木々にも青いマンゴーの果実が実っており、これはこれで風情のあるものだなと思いながら通勤しておる次第であります。 日本では広州という都市は現在では上海よりも知名度が低いようですす。1840年から2年間、日本の幕末にも少なからず影響を与えた、 清国と英国で戦われたアヘン戦争の頃は、中国(清)においては最大の貿易港として栄えており貿易商人も多数輩出した土地であります。 その頃の名勝・遺功などが今でも観光地として残っているとの事で、これから暇を見つけ一度は訪れてみたいものと思っています。

6月に入り、日本と同様の梅雨時(もっと雨は強烈であるが)に入り昨晩も雷を伴うスコールのような暴雨 (今日の天気予報はこのような言葉で表示されておりました)が降り30分ぐらいで水はけの悪い 道路は水浸し状態であります。(やはり日本の土木技術は優れている)この時期は朝いくら晴れていようと傘だけは手放さないようにと、 言われていたのですが2度ほどずぶ濡れとなってしまい、それからはどんな時もバッグには折畳み傘は入れておくよう心掛けております。 まったくうっとうしい季節ですが下旬に入ると広東名産のライチのシーズンです。今年は残念ながら冬の寒波のため、ライチの生育も平年と 比較すると良くないとの事です。今上旬の時期は南の海南島産のものが出回っているとの事です。小生はもう少し我慢して地元産の出荷を待 つこととします。それと羊城とは広州の古くからの愛称であります。

最後に四川大地震より約一ヶ月、犠牲者や遺族の方々へ心からの哀悼の意とともに、被災者の方々の早期の復帰をここに望むものであります。



  

     
                                                 from 広州事務所





2008-5-15 Update

「上海地下鉄の発展」

上海は、1300万の居住人口を抱える大都市です。流動人口においては、約500万人を抱えています。
公共交通の平均の利用客は延べ700万人であり、長期にわたり地上交通が主役を担っていました。しかし、都市の発展による需要を満たすことが全くできなくなり、人々の外出に大きな問題となっていました。ここ数年、上海市の公共交通が日増しに急増し、非常に厳しい状態となりました。上海市役所は、5年前に実態調査を実施し、上海という大都市の特徴をとらえ、まず都市公共交通の発展を優先し、地下鉄交通の発展を加速させ、5年で「環状十字型」の地下鉄ネットワークの目標を達成させました。 2008年にオリンピックが北京で開催され、2010年に世界万国博覧会が上海で開催されます。

この数年の上海の地下鉄の建設の進度をみると、国内外の人々を驚愕させる状況となっています。 現在すでに開通した路線は、1号線から6号線、8号線で、7号線、10号線は来年開通します。全長が230数キロメートルで、162の駅が完成し、一日平均延べ300万人が利用しています。「環状十字型」の路線は、1号線と2号線が十字型で交差をして4号線が環状線となっており、その他の線は放射線状になっています。これにより交通渋滞を大きく軽減させましたが、まだ市民の外出に対する需要を十分に満足していない状況です。 地下鉄の便利さにより、市民が優先して地下鉄を利用しています。しかしラッシュアワーの時間は、車両の中は人で一杯となり、水道管がつまったようになります。市役所は、地下鉄の機能をさらに向上させるため、車両の追加、運転間隔の短縮化をはかりました。

今年、2,3,4号線の乗り換えの簡便化をはかるなど、より一層便利なものにしています。2010年には計画のすべてが完成すると24本の線、全長400キロメートル、280の駅、延べ500万人の運送量に達します。また同時に、地下鉄交通と地上交通の一体化体系を構築し、さらに利用率の向上を目指しています。2010年までに乗客の流れの集散と直接輸送の重要な機能を発揮させ、万国博覧会の参観者の流れを全方面でサポートする体勢を整備します。 地下鉄交通の変遷と発展は、上海の経済発展のみならず、上海人の生活の上で重要な役割をはたすこととなります。都市生活者の生活リズムが更に加速し、2010年の上海万国博覧会のスローガン「都市、生活の向上」の実現化が更に進むことでしょう。


  

     
                                                 from 上海事務所






2008-4-15 Update

「突破口を開く広州」

広東は、保守的な面と革新的な面が同居する地域だと言っていいかもしれない。古い伝統を守りつつも、生活の環境を改善するための度量の大きさは、中国一です。広東人の気質は気候のせいかもしれないが、滅多に焦ることはない。もちろん人により異なるが、一般的に広東人は急ぐことをしない。排他的なイメージも無く、他省人や外国人を受け入れてくれる雰囲気を持っている。人との紛争や争いごとを最も嫌うのも広東人だ。見た目では東北人はゆっくりめで穏やかなイメージがあるが、一般的に東北人の方が、はるかに頑固で気が短い。一度訪れた旅行客がまた訪れたいと思うのは、外物のを受け入れる柔軟な気質があるからかもしれない。

広州は商業の中心という印象があるが、意外と歴史上の革命の志士の出身地でもあり、いろいろな意味で全国に先駆けて行われることが多い。比較的新しい歴史を見ると、孫文の生まれ故郷は、広州からわずか60kmの中山市であり、日中友好協会の初代会長の廖承志氏は深?市の近郊の恵州の出身だし、葉剣英は梅州の出身です。 香港で巨財を築いた霍英東氏は、革命家ではないが、広東経済の発展を語る上で欠かすことのできない人物です。彼も広州市内の番禺出身なのは余りにも有名です。 彼らの立身出世の記録を見ると、いずれも貧しい環境で育ち、たいした教育も受けられずに自らの力で国や経済を動かすまでに至っている。成長の過程で、現代社会で最も欠けているものが、彼らにはあったと言っていいかもしれない。

過去を振り返ってみると、アメリカのニクソン大統領が訪中し、アメリカとの国交が樹立されるまで、唯一門戸を開けていたのは広州で、広州交易会が唯一の交易の窓口であり、そこから先は竹のカーテンで遮られていた。
また、香港に隣接し、経済が最も早く発展したのは広州だ。考えてみると、中国は社会主義市場経済が、広州から始まり、北京がこれを追認し、上海で発展したと言っても過言ではないでしょう。


  
     
                                                 from 広州事務所




2008-3-17 Update

「高価傾向になる“白酒”」

先日、久しぶりに会った地方の友人達と食事をしました。レストランのメニューを見て、 酒の価格に驚きました!
茅台酒の15年物、30年物、50年物がそれぞれ3280元、7800元、1.28万元と大幅に上がっており、最上級の80年物にいたってはなんと5.3万元で、農村から出稼ぎしている農民工が稼ぐ2年間の給料とほぼ同じ額になります。

中国の伝統的な蒸留酒を“白酒”といいます。ブランドも数え切れないほどあります。中でも「茅台酒」はもっとも知名度の高いトップブランドの一つで、「茅台酒」の他にも、「五糧液」、「水井坊」などが有名です。“白酒”は高粱、トウモロコシ、米などの穀物を原料とする蒸留酒で、出来上がった酒は密封した「かめ」の中で熟成を経て出荷されますが、寝かせることで味がまろやかになり、香りも高くなるので、一般的に熟成期間が長ければ長いほどよい酒とされます。アルコール度数は38度〜72度のものがありますが、50度前後のものがポピュラーで、高い度数のものは火を付ければ燃えるのが特徴です。

“白酒”は中国食文化に於いて箸と同様に重要なものと位置づけされており、日常の食生活、人間交流には欠かせない役割を果たしています。
ここ数年、ビールやワイン、洋酒に一部の市場を奪われ、“白酒”の生産総量は1996年の800万トンがピークでしたが、昨年は約600万トンまで生産量が減少を続けました。茅台をはじめ大手メーカー各社が中国経済の急成長が引き起こした消費者の高級志向化をとらえて、“白酒”も熟成年数の長さを売り物に、 <高級白酒>として15年もの、
30年もの、50年ものを一本数千元から数万元の高価格商品として相次いで市場に投入しています。
<高級白酒>に限れば、年間の市場規模は50億元を上回り、しかも毎年20%のぺースで消費拡大しています。
「不求最好、但求最貴」(品質最高より値段最高のものを求める)というバブルぶりの消費者心理が現れた結果
でしょう…。 一方、熟成年数の表示はメーカーが自主的に行っているため、その信頼性に疑惑の声も消費者から絶えませんが、"白酒”愛飲家としては安心して信頼できる美味しい“白酒”が飲みたいものです。



 
 
     
                                                 from 北京事務所

                                               




2008-2-15 Update

「世界最大規模の人口移動 − 中国春節風景」

「春節」は旧暦の一月一日で、俗称「過年」(クォネン)と呼んでいます。 これは中国民の最も盛大でにぎやかな伝統の祝際日。 「春節」になったら春が間もなく来ることを意味し、草木の萎れている厳冬を過ごした人々は、春うららかに花開く日を待ち望み、自然に喜びを満たして歌ったり踊ったりしてこの祝際日を迎えます。
「春節」は歓楽のめでたい祝際日で、一家団欒の日でもあります。 中国の人々はいくら遠く家を離れていても大晦日の前日には実家に帰らなければならないという、強い意思を持っています。家族と一緒に新年を迎え、思う存分飲食を楽しみながら、一家団欒の楽しみを分かち合うのが中国人にとっては何よりも重要なことなのです。だからこの時期になると中国のお得意先に連絡を取るのは難しいかもしれません・・・。春節前には客をもてなすという気が薄れるかもしれませんし、多くの従業員たちはもう郷帰りの列車に押し込まれているかもしれません。こうして、毎年繰り返す喜びもあれば悲しみもある春運の時期に入るのです。

「春運」と言うのは、中国春節前後の40日間郷帰りと職場戻りの旅客輸送のことです。
2008年の「春運」は1月23日から全面的に幕が開け、この日から中国道路、水路、空路は春運に入ることになります。そして1月18日にはすでにスタートした鉄道の「春運」では、年に1度の世界最大規模の人口移動風景を見ることができます。 交通省のスポークスマンによると、今年の「春運」期間、全国旅客輸送量は21.5億延べ人数に達し、去年同時期に比べて5%ぐらい増加する予定で、中でも鉄道の旅客輸送量は去年の1.56億人から1.78億人に増加する見込みであると述べました。日本の人口より多い、1.78億が列車で移動するのは想像も出来ないことでしょう!
「春節」の前後に駅に殺到する潮のような人の流れは、農村から都市部に出稼ぎにきた臨時就労者が主力です。あちらこちらの工場、建築工事現場とサービス業などで中国の経済発展に微力を捧げた彼らは大晦日の家族との団欒のため、慌ただしく郷里への帰途に足を踏み入れます。さらに今年は、何十年ぶりの雪災害で南地方では列車が止まったり、高速道路、空港が閉鎖されたりと春運はパニック状態に落ちいりました。上海、広州、杭州などでは雪災害で列車が止まってしまい、広州駅に滞留した旅客は一日24万人を超えるほどの状態までになりました。中には駅ホームで人並みに押し倒されて列車に引かれた死亡事故、広州駅前で人並みに踏まれて死亡する事件なども発生し、郷帰りのムードを暗くする一方でした。

しかし、関心を持つのはこのような1年に1度の大規模な人口移動の風景だけではなく、世界最大規模の人口移動の中に潜んでいる巨大なマーケットです。 特に鉄道建設に投資を軽視してきた中国は2010年までに鉄道輸送の状況を改善し、旅客がもっと心地良く旅することができるように鉄道建設領域に人民元1.25兆元(約1750億ドル)投資することを決意しました。 「春運」人口の着実な増加は、すでに交通運輸業、観光業、飲食業などの業界および安全生産などの社会多方面で、いまだかつてない挑戦をもたらしています。マスコミは、広東省の出稼ぎ臨時就労者たちが郷帰りの時に平均的に1000元(約140ドル)ぐらい消費すると推定しています。広東省だけでその人数は2000万人を超え、全国では1.2億人超えると言われています。

「春節」の郷帰りの人々の移動による衣・食・住と交通消費などは巨大な需要を生み出しているのです。 とにかく「春運」はすでに中国のひとつの重大な社会経済活動になっており、「春運」に関わる各方面について、私達は十分な関心を持つことができるのではないでしょうか。


     
     
                                                 from 上海事務所

                                                                                                 




2008-1-15 Update

「老火湯」

中国語で、湯はスープの意味で、長い時間をかけて煮込むので、老火湯というのでしょうか?

広州のスープは全国に知られており、色・香り・味だけでなく、季節に合った素材と栄養についての拘りがあり、その季節により様々な種類があります。 あるグルメによると、「スープは広東飲食文化の全てであり、男女年齢を問わず日常生活の源泉になっている」ということです。悠久なスープ文化は、広東人それぞれの拘りと専門的なスープ漢方医学から成り立っています。 身体虚脱で体が乾燥して熱がある場合、元気をつけ、血液を補い、肺を潤し、乾燥を取り去る作用のある「リュウジンボク」(サボテンの一種)で煮込んだ豚骨スープ や 西洋ニンジンで魚を煮込んだスープが食されます。 もともとスープは漢方薬の考え方で作られました。漢方薬はそのまま飲むと口に苦く、飲みづらいものですが、広州人は子々孫々にわたり、薬の服用の方法を考えてきました。薬の作用を期待し、さらに飲みやすいものを漢方薬の煎じ方からスープの作り方を導き出しました。 従って、広州人のスープは漢方薬に相当します。

広東人のスープは、贅沢品でもあります。スープには十種類以上のダシが使われています。豚骨・魚・鶏肉・タコ・貝頭・アワビ などを何時間も弱火で煮立てます。このスープは価値が非常に高く、煮立てたダシガラは普通は捨てられてしまいます。栄養がスープの中に入っていってしまったと考えられるからです。多くの専門家がダシガラそのものの栄養価を指摘しまが、ほとんどの人は味がないためダシガラを食べません。 ただし、豚の肝はスープのダシを摂った後に醤油をつけて食べると美味しいので、豚肝スープは多くの人に食されています。

広州のスープは確かにおいしいですが、実際に作るとなると調合を学ぶのは大変です。スープの調合はひとつの学問になっています。はす・ゆり・くこ・なつめ・各種豆類などの調合と効果はひとつの学問であり、マスターするには長い年月が必要です。 しかし、心配することはありません。すでに調合されたダシが販売されています。ダシを包装袋にそれぞれのスープの効能と調理法が印刷され商品化されているので、家庭でも気軽にスープを作ることができます。 このとき、広東食文化の真髄を味わうことができるでしょう。


 
     
                                                 from 広州事務所




2007-12-17 Update

“BABYブーム”は年商420億元のビジネス!

今年は、60年に一度の吉祥の年で、この年に生まれた子供は幸運をつかむとされ、“金猪宝宝”(金豚BABY)といわれ、BABYブームとなっていますが、来年は中国初のオリンピックがいよいよ開催となり、記念すべき年にさらに多くの“奥運宝宝”(オリンピックBABY)が誕生すると言われ、中国は2005〜2010年には第4回の人口ピークを迎えます。
中国人口統計年鑑によると、中国では0〜3歳の子供が約7000万人、毎年の人口出生率は1.286%で、その中都会の0〜3歳の子供は1090万人にもなります。子供の消費額は家庭総支出の30%を占めるほどになります。全国では0〜12歳の子供の月間消費額は35億元(約525億円:1元=¥15)で、年間420億元(約6,300億円)ほど巨大なマーケットになっています。

中国では出産後を“座月子”と言い、出産してから1ヶ月の間はじっとベッドで休んで、家事をしないことは当然で、外にも出られません。日本のように出産してからシャワーを浴びたりするのはとんでもないこととされています。この期間、行動が制限され、不便な若いお母さんたちはネット販売の大きい客層になり、今年に入ってから母子製品のネット販売額は月間1億元強(約15億円強)と急に伸びて来ました。 中国の乳児ミルクマーケットは今年年商50億元(約750億円)で、アメリカの次に世界第2位の広大なマーケットになるそうです。 欧米などの外国ブランドが8割のシェアを占め、7月から平均10%以上を値上げされても売れに売れ、関係者をも驚かせました。

世界最大の生産量を誇っている中国製の子供服・玩具でも、国内の販売量は決して外国のブランド品には勝てません。 “MICKEY MOUSE”“SNOOPY”“LITTLE BOBDOG”“WINNIE”等の高級輸入子供服が5割強のシェアを占めています。 「輸入品は安全・安心。どうせ高いならいっそう高い輸入品を買おう」という消費者心理が現われた結果となりました。 やはり、安全・安心を買いたいのは各国共通した本音ですね。


 
     
                                                 from 北京事務所




2007-11-15 Update

上海蟹は今が旬!

11月に入って上海も少し寒さを感じるようになりました。
町中のお店を通り過ぎる時、風に乗ってきたカニ料理の香ばしい香りに、さり気無く息を深く吸いたくなるでしょう。
グルメ大国である中国の食べ物といえば、皆さんはやはりフカヒレ・北京ダックなどを思い浮かべるのでしょうか。
しかし、この時期ならでは、ぜひ食べたくなるのが上海蟹!!お勧めするのも今が旬の上海蟹です。

上海蟹は「9月の雌、10月の雄」(旧暦)と言われています。 9月の産卵前の雌は卵が多くて美味しく、10月はゼラチンの質の精巣を持つ雄が美味しいと言われています。 これは夏に盛んに動いていた蟹が、水が冷たくなると急に動かなくなるためで、身が締まり始め、風味が蓄積されるそうです。 新鮮な上海蟹は、蟹の足を割ったとき、蟹肉がきれいにスルっと抜けるので、一番いいと言われています。 上海蟹の食べ方といえば意外に簡単です。上海蟹を使った料理も数多くありますが、やはり丸ごと茹でて食べるのが一番でしょう!食べやすいこともありますが、ほんとの味を味わうことが出来るからでしょう。茹でて食べるときには、「上海の蟹に鎮江の酢」と言われるとおり、やはり香酢につけて食べるのが一番です。 幾ら逸品であっても、上海蟹を食べる際に注意する必要があります。胃腸の弱い方、下痢気味の方は残念ながら食べないほうがいいでしょう。また、蟹を食べるときに紹興酒などのお酒で味わうのがいいと言われています。ビール党の方はそのときだけは我慢したほうがいいと思います。

上海蟹の中国の本名は大閘蟹「ターザーシェ」です。上海蟹といっても上海市で獲れるわけではなく、車で一時間位の蘇州の陽澄湖が上海蟹の本場です。陽澄湖の蟹といえば、味も抜群、値段も高いブランド蟹! でも、本場陽澄湖の上海蟹が町中溢れるほどではないので、ブランドイメージと偽物防止の対策として最初はレーザー光線で甲羅に業者名などを刻印するなどの措置を取ってきましたが、業者名を刻印するだけでは本場の蟹なのか判断しにくいため、昨年からは面白いことに上海蟹も「指輪」をはめるようになりました。(まさかプラチナ製ではないでしょう?! )指輪にID番号、問い合わせ先などの文字が刻まれてます。携帯電話のショートメールで蟹のIDを送ると本物か偽物かの判断が出来るそうです。 しかし、ここまでしても陽澄湖の本場の生産業者は非常に困っているそうです。偽物氾濫の中国では、どんな基準の偽造対策をしても、偽物がすぐ市場に出回ってしまう状態です。蟹の指輪も簡単に偽造され、一つ1元から8元(約16円から130円位)の値段で市場に出回っているそうです。陽澄湖の生産業者からも、「実はどんな偽造対策でも無理、やはり生産業者と客の信用が一番でしょう。」とのため息も・・・。
もしプラチナの指輪だったらどうなるでしょう!!

最新の情報(ネット情報)によりますと、来年の出荷量は少し減るそうです。
だったら値段もまた上がるでしょう。何方か、誰も真似できない偽物防止のアイディアがありましたらそれはいいビジネスになるかも・・・・・・。



 
     
                                                 from 上海事務所




2007-10-15 Update

駐在員の休日

朝は意外と早く目が醒める。
平日6時半に起きるという生活のリズムが出来上がっていて、若いときのように9時10時までゆっくり寝ているわけにはいかないのだ。起床後、1週間分の衣服の洗濯をする。簡単に部屋の掃除をしたあと、 文庫本をもって、敷地内のレストランに行く。

ここは広州市の郊外で、敷地内に緑が多く、空気がきれいで、レストランまで5分の散歩は実に気持ちがいい。7時半にそのレストランは開く。 中華レストランと洋食レストランがあるが、洋食レストランはまだやっていない。 中華レストランは飲茶である。入口でチャイナドレスを着飾った女性が席まで案内してくれる。 広東語で何名ですかと必ず聞いてくるので、北京語で1名と答える。毎週週末に通って1年半になるが、この女性は私が日本人であることにまだ気づいていない。 朝の7時半にもかかわらず、レストランは賑やかである。 従業員が食器やテーブルクロスを持って忙しそうに働いている。お客さんもちらほらと席についている。大抵は家族連れで、お年寄りが先に来ていて席を確保し、携帯電話で家族に連絡をして呼び寄せる。 いつも70歳過ぎくらいの老人が必ず来ていて、隣の席の人と大声でなにやら話をしている。おそらくその老人は毎日来ている常連で、店の人も顔馴染みになっている。 話しかける人によって広東語であったり北京語であったり、他愛のない世間話をしている。北京だと政治の話だとか、上海であれば株の話とかになるのでしょうが、その老人は他愛の無い話をしている。 飲茶のメニューを見ている人に対して、ここのチャーシュー饅頭は美味いとか、排骨が美味いとか言っているに違いない。 必要以上に大声なので、日本では顰蹙(ひんしゅく)を買うが、それを注意する人は誰もいない。さながら町内会の会長といったような貫禄がある。私は敬意を表して、なるべく遠い席を選ぶ。 その老人がオヤジパワーを発揮しているときは読書どころではないので、注文して先に食事をする。

飲茶は広東や香港ではどこにでもある手軽な朝食で、席についたら、まずお茶を選択しなければならない。 お茶は、鉄観音・プーアル茶・ジャスミン茶・菊花茶など種類は豊富だ。メニューは値段別に頂点・特点・大点・中点・小点とあり、私は油条(ヨウティァオ=揚げパン)を白粥に入れて食べるのにはまっている。 それらを注文すると何故か豆乳は要りますか?と必ず聞いてくる。お茶を飲んでいるので要らないと答える。これらの儀式を経過し、食事をするまで15分はかかる。このペースでは平日はまず無理である。その老人も、大抵8時15分頃には静かになる。 さすがに年寄りがそんなに長時間に亘り延々と大声で話をするエネルギーが無いということに最近気づいた。そのころを見計り、私は眼鏡と文庫本を手にする。お茶を飲みながらゆっくりと流れる時を楽しむ。 読書をしながら、今日は何をしようか?とか、日本の家族はどうしているだろうか?とか仕事のことをついつい考えてしまう。集中力の欠如が私の最大の欠点だ。あの老人が静かになったと思ったら今度は周囲が騒がしくなり、集中力の限界に達すると、埋単(マイタン=勘定)をして席を立つ。

外はかなり暑くなっており、外出する気にはなれない。全身汗だらけになるのを覚悟してゴルフの練習場に行くか、スーパーに買い物に行くかが関の山である。大あくびをしながら、来た路をトボトボと歩き始める。 休日の時間がゆっくりと流れていく。



 
     
                                                 from 広州事務所




2007-9-18 Update

「マイカー」時代になる北京の悩み

この5年間で北京市のマイカーが急増しました。
今年の統計では、先進国の象徴とも言える車両の所有台数は遂に300万台を突破しました。 オリンピックのお陰か、後発の優位性か、北京の道路は広々できちんと整備されており、外国メーカが中国生産した車か、輸入高級車か、走行している車両も多種多様で、見ているだけでも面白いです。特に感心するのは、女性の運転手が増えたこと。そして良い車に乗っている女性は、だいたい若くて美人だと言うことです。

20年ぐらい前の「自転車大国」と呼ばれた時代には、一般市民の通勤手段は自転車でしたが、現在のようにマイカーを持てることは、北京の経済発展及び生活水準向上を証左したものでしょう。 しかし、マイカーが急激に増えたことにより、当然ながら大気汚染や交通渋滞などの環境問題も発生しています。 特に交通渋滞は、相当深刻な問題になっています。本来車で15分の距離なのに、現在平日でも倍の30分もかかります。ラッシュの時ならもっとひどい!その場合、45分で辿り着く保証もありません。ラッシュ時間帯も段々長くなってきており、朝は06:45から09:00頃まで、夕方は16:40頃から、既にラッシュ時間となります。北京に出張に来た地方のお客さんに、北京では16時ごろから退社の会社が多いのかと何回か聞かれたこともありました。

自転車や歩行者との道路優先権を巡ってトラブルもあります。中国の場合、日本と違って右通行となりますが、右折の場合は信号に関係なく車の通過が許され、歩行者を優先させるルールにもなっていないので、車と自転車や歩行者との間に道路の通過優先権を巡るトラブルや、車体に接触するなどの小事故も起こりやすくなっています。 携帯電話をしながら追い越し車線でモタモタ運転して車線を譲らなかったり、運転中でもゴミやタバコの吸殻を平気で外に捨てたりと、マナーの悪い運転者もいます。 また排ガスによる大気汚染・温暖化などの環境問題や交通渋滞などに対して、今年から北京地区で国3排気規制(ユーロ3相当)の実施・地下鉄建設の加速・公衆交通機関の健全化及びマナー厳守の呼び掛けなどの具体施策により、問題解決に全力投球しています。 2008年の北京オリンピックの開催が迫近しており、北京がどのように変わるか楽しみです。



       
     
                                                 from 北京事務所




2007-8-15 Update

南京路 歩行者天国

南京路は上海大都会における最も賑やかな商店街と最も規模の大きい商業貿易センター。20世紀30年代から「中華第一商店街」と呼ばれ、世界にその名が知られ、上海の街のシンボルの一つとなっています。今日、24時間歩行者天国となり、ますます賑やかで、容姿しなやかな通りに変身した「南京路」をご紹介いたします。

商業繁栄は南京路の永遠に変わらないテーマとなっています。歩行者天国に著名・特色・優良店舗が軒を連なっており、第一百貨や新世界など中国の老舗百貨店の他、日本の服装を特色とするイトキンデパート、東南アジア風情溢れる置地広場や先施会社など、それぞれの商店は人々の生活を彩り、歩行者天国を万国商品博覧街につくりあげました。 人々は「国境」を超えずに、世界各地の商品を購入することができます。また、歩行者天国にはランクや風味の異なるレストランがたくさんあり、ショッピングの後、世界各地の美食を味わうこともできます。

以前は、通常の道路と同じで、車も電車も通っていたこの道が、1999年に現在のような歩行者天国となりました。日本の銀座や新宿などの一時的なものではなく、中国初の24時間の歩行者天国となったこの街に訪れる人の多くは、海外や中国各地方からの観光客がほとんどです。 今の流行を求め、ショッピングを楽しんだり、観光地としてその雰囲気を味わう人でごったがえし、高いところから見ると、その混雑振りは、人の波というより、津波のようです。 南京路に沿って走る地下鉄2号線は、人民広場を中心に浦東から中山公園まで東西に走る幹線ですが、2010年までには浦東空港、西は虹橋空港まで延長され、万博の際には輸送力で一番利用される交通手段となるでしょう。また上海地下鉄は現在1号線から5号線まであり、6号線も最近試運転が始まりました。さらに驚くなかれ、2012年には13号線、総延長距離510kmにもおよび、東京の地下鉄にもひけをとらない交通網となるでしょう。
(※東京は、東京メトロ・都営地下鉄を合わせて12線 292km)



      
     
                                                 from 上海事務所




2007-7-13 Update

上下九、北京路 ― 潮流のプロローグ

先日2006年の中国のGDPが11.1%に上方修正されました。経済の発展にともない、広州のショッピングの街がとてもホットになっています。 当地には多くのショッピングセンターがあります。デパート、ショッピングモール、商店街、専門市場などで安心して買い物が楽しめ、商品は、最新のファッションから雑貨まで、様々な商品が街に溢れています。 なかでも「上下九歩行街」と「北京路歩行街」は、広州に代表される繁華街です。広州を訪れた人は、まず上下九や北京路でショッピングや食事を楽しむ人が増えていて、地元の人も週末に散歩がてらに出かける人が多いようです。

「上下九歩行街」は広州の西関地区に位置し、上下九路と十甫路の通りで形成されます。洋服店・食品店・生活雑貨店・娯楽場などがあり、庶民的な街です。若いカップルも多く、女の子が男の子の手を引いて歩いている姿が多く見かけられます。 男の子が買い物につき合わされて、仕方なさそうな表情で歩いている様子を見ているとユーモラスで結構楽しめます。「女人街」という路地があり、ネックレス・髪飾り・ブレスレット・リングなどのチープなアクセサリーやカジュアルな洋服の店が、ところ狭しと集まっています。 「中華小食水?街」は広州風味のフードストリートで、牛のホルモン焼き・つみれ・イカの丸焼きなどの屋台が並んでいます。

「北京歩行街」は広州市の中心に位置し、広州百貨店などの大型店舗もあり、どちらかというとホワイトカラー族に好まれる街です。昨今では「素敵なデザインね!」とは言いません。ここでのキーワードは「クール」です。
この街の歩道には、地面博物館といわれる小ケースが地面に敷設されています。 歩道に設置された透明のガラスの下に発掘された古代遺跡を見ることができます。 歩行街には、多くの小店舗がみられます。店構えは質素ですが、商品は目を奪われるものが多くあります。 店主が自分の目で選りすぐった商品を仕入れるからで、多くの常連客を集めています。 これらの店は、少量の商品を多数の種類を揃えることで、個性化を尊重する広州の若者の心を捕えて離しません。 商品の多くは、日本・韓国・アメリカ・ヨーロッパに輸出する企業からのアウトレット商品です。オリジナルのブランドもいくつかあり、 《皚如》《莱尓斯丹》《仏羅倫》等が広州のOLに人気のブランドです。自分でデザインして商品化した店も少なくなく、人気を集めています。季節ごとに、バーゲンが開催され、売り場は異常(?)な熱気に包まれます。 その狂騒ぶりはご想像にお任せします。
誰ですか?「どこの国も同じ・・・」などと言っているのは?



    
     
                                                 from 広州事務所




2007-6-18 Update

"炒株" 雑談

中国株民(個人投資家)の人数は、ついに1億人を突破しました。青海省・チベットを除いた地域では株売買口座の増加は月間数十万以上あり、まさに今の中国は"全民皆株"と言っても決して過言ではありません。 2006年1月頃に上海総合指数の990台に対し、今現在約4200台と大幅に上がりました。個人投資家の投資意欲が高まるのは理解できないことでもありません。

一方、株上昇と同時に「5月の物価同期比の上昇率は3.4%、肉類は26.5%も上昇した」と国家統計局の公表でもありました。 豚の養殖業に勤める農民に言わせると、都会の人が株で大儲けした事に比べれば、豚肉の価格上げ率はまだまだ少ないよと・・・。
お客さんの中にも株をやっている人もいて、普段お客さんとの会話の中でも話題となる「炒株」:株式投資。
先日お客さんが食事に行った時、友人と株の話をしていたら、店員さんも皆興味津々で、お客さんがお店で人気者となって喜んでいたけど、翌日からはその店員から株投資の相談電話が殺到して、困ったことがあったとか・・・。
高校生や大学生からも株投資の話をよく耳にしますが、企業家が1年間苦労したにも拘らず、収益率が株投資の1ヶ月の収益率に適わないことにより再生産に投資すべき資金を株投資に流用されている傾向が浙江省あたりの民営企業からも出でいます。 今では和尚様まで株投資することがニュースとなっていますが、もはやニュースでは無くなる時代がやってくるでしょう。

現状を見ている限り、誰も中国経済が失速するとは思いませんが、いづれ中国株が調整局面に入ることも十分考えられるので、今後の行き先がどうなるのか気になるところですね。



    
     
                                                 from 北京事務所




2007-5-15 Update

新しさと古さが同居する上海

この10数年間で上海の町は大きく変化しました。
人は日毎新しく変貌する上海に驚嘆の声をあげています。
10数年前までほとんど畑同然であった浦東地域は、 今は毎日のように日本のテレビでも映りだされているほどで、新しい中国の象徴であるかのような風景となっています。 また建設中の上海環球金融センター(日本の森ビルが中心となって建設中)は隣にあって今まで高さが一番であった「金茂大厦」 をすでに見下ろせるまでになり、9月には展望台の高さが世界一となるビル:492mすべてが完成される予定となっています。
この上海環球金融センターは、地上101階地下3階総建築面積38.16万平方米で、エ レベーターは120台といわれています。また浦西でも今後2010年の万博にかけ、更 に町の様子が変化していくと思われます。
当上海事務所がある北外灘も再開発地域で あり、この2・3年で旧日本租界を含め、風景が一変していくことでしょう。その一方 でよき時代の上海を残そうとする動きも盛んになってきていることも事実です。 そ のひとつである「石庫門」を紹介しましょう。

19世紀半ばのイギリス、フランス租界の周辺に土地の効率利用を目的とした「石庫門」 住宅が建てられました。日本でいう長屋のような建築様式で、今でも上海市内の3分の1の人々が 住んでいます。そこは今でも住む人々の交流の場所であったり、憩いの場所であった りして、端から端まですべてが生活空間になっています。 周りがどんな新しい変化 をとげても、まるで100年前の上海がそのまま残っている感じがします。煉瓦作り の壁やアーチ型門は古いというより、一番新しい、モダンな上海にも見てとれます。
「石庫門」の代表的な建物のひとつに中国共産党第一次代表大会が開かれた跡がありま す。そこは今では新しい上海の観光地のひとつとなっている新天地の中にあります。 「石庫門」の片隅から流れてくるジャズを聴きながら、「新しい上海と古い上海」がいつ までも同居していってもらいたいと思います。



    
     
                                                 from 上海事務所




2007-4-16 Update

広州 ホットな投資エリア − 南沙開発区 −

数年前までは、荒地で貧しい漁村だった南沙ですが、今、南沙が内外から注目されています。 今回は最も新しく、大規模に開発されている南沙開発区をご紹介します。

広州南沙開発区は、広州の東南にあり、面積は797平方キロメートル、その中心部は536平方キロメートルあります。 珠江三角州の中心部にあるバナナの葉を広げた形に似た地形で珠江の河口に広がっており、近隣の珠江三角州に4,000万人の人口を擁する巨大市場があります。 周囲60km以内に広東省の10大都市があり、100km以内には広東省のすべての都市がネットワークに入り、さらに広州・深セン・珠海・香港・マカオなどの大都市を通じ国内および海外市場とつながる戦略位置にあるため、 強い市場の潜在力と影響力を持っているといえます。

1993年5月、国務院により広州南沙経済技術開発区が設立されました。 この10年来、南沙開発区は、累計で30億元(約465億円)を投資し、区内の排水・電気・通信・港湾施設などのインフラが整備されました。 また病院・学校・文化施設・スポーツ施設などの生活環境も整備され、南沙港も国務院から国際港として認定されました。 南沙経済技術開発区は、全国の有数な投資環境の優秀開発区で、すでに何社かのグローバル企業が南沙に進出しています。南沙のインフラの建設は現在も継続して発展しています。 現在、南沙は256件のプロジェクトについて投資総額16.1億元(約249.5億円)をかけ、 11.5億元(約178億円)の契約済み外資と4.3億元(66億円)の実際投入外貨を導入しています。 1千万ドルを超えるプロジェクトは40件を超え、アメリカのGM, ドイツのバスフ、日本のトヨタなどこれにあたり、 すでに南沙に拠点を持って活動をしています。香港の建滔集団が投資した3万トン級の石油化学専用バースもすでに稼動しています。

南沙はアヘン戦争の有名な古戦場で、現在も大角山砲台と蒲州砲台・芦湾東部の砲台・大虎山砲台が残っている観光資源も豊富なエリアです。 現在この地に蒲州ホテルや、天后宮、江南水郷などの観光地も開発され、休暇に名勝の地を観光し、古跡の風情を味わうこともできます。 昨年12月末に地下鉄4号線が開通し、広州市内からのアクセスも高速道路と併用し、ずっと便利になりました。 今後不動産開発や流通等のサービス産業の開発も進み、新しい産業地区に変貌していくことでしょう。



    
     
                                                 from 広州事務所




2007-3-15 Update

北京の胡同

近代化が進んでいる北京の特色は、高層ビルが連なる幅広い道路ではなく北京の「胡同」です。
「胡同」というのは伝統的家屋建築である「四合院」間の小通りのことです。 元の時代に都を北京に移してから「胡同」が形成され、現在までに既に700年以上の歴史があり、北京文化の重要な部分でもあります。 北京文化を「胡同文化」といっても過言ではありません。 元の時代の「胡同」は割と広く、9.24メートルの道幅があります。 後人が中間の空き地にどんどん住宅を建てたため、「大きい胡同」から数え切れない程の「小さい胡同」が生まれました。 「胡同」も段々狭くなり、最も狭い「胡同」は前門地区の銭市胡同で、狭い所は40センチしかありません。

北京には、いったい「胡同」はいくつあると思いますか?
文献によると明の時代も数千あり、その中内城では900余り、外城では1800余りの「胡同」がありました。現在では約4000の「胡同」名があります。 繁多の「胡同」の名前はそれぞれに特徴があり、役所、お寺、倉庫工場、人名、市場などで命名されたのが殆どです。 役所で命名された例で言うと、軍機処胡同、祿米倉、惜薪司、西什庫、按院胡同、府學胡同、貢院胡同、兵馬司などがあります。 皇族高官の官命で命名された「胡同」は、永康候胡同、武定候胡同 などがあります。東交米巷(東交民巷)、胡同鮮魚口、騾馬市、瓦缸市、羊市、豬市、米市、煤市、珠寶市等は市場で命名されたものです。 お寺で命名されたものは、隆福寺街、大佛寺街、寶禪寺街、護國寺街、正覺寺胡同、觀音寺胡同、方居寺胡同など。 店や人名で命名されたのは砂鍋居胡同、汪紙馬胡同、孟瑞胡同、劉漢胡同、安成家胡同などがあります。また「胡同」の形状、あるいは特徴で命名される例もあります。例えば、喇叭胡同、羅圈胡同、椅子圈胡同等です。

北京の「胡同」は北京歴史の沿革と社会風俗を現す存在でもあります。オリンピックに向けて近代化が進むにつれ、北京の「胡同」は大半が取り壊され、変りに現代風な高級マンションが建てられましたが、一部の「胡同」は文化財として政府に保護され、「古都・・・北京」であるかつての栄光の歴史が語り継がれています。



    
     
                                                 from 北京事務所




2007-2-15 Update

「大上海」の発展と課題

昔から繁栄し、今でも中国の経済をリードしてきた上海は、中国がWTO加入以後、さらに全世界から注目されています。
中国では上海を「大上海」と呼んでいます。
その面積の大きさだけでなく、人口が1700万人で外国企業も一番多く、周辺の都市はもとより全国の在中外国企業の発展を引っ張っているからではないかと思います。

そんな上海の事務所に勤務している私は、中国の吉林省出身で、日本で3年在住した後、上海で就職しました。 実は上海は生まれて初めて。東京とあまり変わりのない高層ビルばかりの大都会:上海を見て最初は誰もが驚くことでしょう。 それは故郷の風景とはまるで違う、遥か未来へタイムスリップした感覚でした。 色々なサービス施設も完備しており、スーパーや自動販売機など、数年前の故郷では見たこともないモノで溢れています。 中国の発展とその力強さを感じ、中国人として誇りを肌で感じます。
しかし、時間の経過とともに発展し続ける上海とその一方にある実状にも気付かされます。 まず「マナー」です。電車で大きな声で喋ったり、約束したのに居なかったり、ゴミのポイ捨てなど、 特にサービス業の態度は日本から帰ってきた当時、私もそのマナーの差に驚きました。
次に「格差」です。 多くの高層ビル・マンションが立ち並び、夜には素晴らしい夜景となるのですが、高価で一般のサラリーマンでは購入できず、 まばらに灯る明かりが目立ちます。上海のサラリーマンの月収は1,500元〜40,000元と25倍以上の格差があるため、 街の発展のスピードに現状が追いつかず、深刻な社会問題となっています。
発展とともに生活は便利で豊かになる一方、様々な社会問題も生まれており、上海はこれらの課題を乗り越えて始めて本格的な国際大都市になれるのではないでしょうか。

今後、オリンピックや万博などを控え、さらに上海そして中国の発展はさらにスピードを増すことでしょう。
「大上海」の今後が楽しみであり、その発展を現場において肌で感じたいと思います。



  
     
                                                 from 上海事務所




2007-1-15 Update

花の都 広州

広州は亜熱帯地域で、夏が長く冬が暖かいところです。
1年中四季を通じて緑が多く、常に花が咲いています。古くから花の都といわれて、広州人は花を植えたり鑑賞したり、人に贈るという古い歴史があります。

西漢の頃、陸賈という人が南越に使者に出されたとき、嶺南人は花を植えたり、生け花をしたり、頭に花を飾る習慣があることを発見しました。家々の室内外に花を飾り、綺麗な花で身の回りを着飾る人々を賞賛しました。
漢代の広州は、シルクロードの交易が始まってから、外国の花が入ってきて、唐代の広州の花は全国で有名になりました。有名な詩人孟郊曾は広州が冬なのに花が咲いていることを描写し、「冬にもかかわらず、広州は花が至る所で咲き誇り、どの家の庭先にも花が咲いている」という内容の詩を残しています。この時代に海外のジャスミン・ホウセンカ・ソケイなどの花がすでに出回っており、花の市場も出現しました。 当時の花売り娘がきれいな紐で花を結わえて各種の花を売って歩きました。
清の中葉、広州では中国で初めて正月の花市が出来ました。花市は200年の長い歴史があります。毎年大晦日前の3日間、広州市の中心の藩署前(現在の北京路財政庁の前)一帯に花市が形成されていました。数キロの街が賑やかで香りが高く、広州の<花の都>、という別称は国内で唯一のものとなりました。 近年では、広州市内で8つの地域で年末の花市が行われており、花の街は総計数十キロにも及び、数百万人が花の街で新年を迎えます。「大晦日に花市をぶらぶらし、お正月を迎える花が街中に咲き、赤い花、黄色い花、千本万本、全部見切れない、お母さんが笑い、お父さんも喜び、いろんな花がとても綺麗い」という広州の童謡が年末の風物詩となっています。

広東人が年を越す際に、家の応接間に飾る花も非常にこだわりがあります。
もっとも人気がある花は伝統の意義、縁起物の意義、鑑賞の意義の3つの方面に分類されます。
伝統的な花は、“金柑”、“水仙”、“桃の花”等です。縁起物としては“猪籠草”、“五代同堂”と呼ばれる花などです。 観賞用としては、“大花薫蘭”、“胡蝶蘭”や“ベルギーツツジ”等が挙げられます。 多くの花は縁起をかつぐ意味も含まれ、例えば、広東語の桃と図は発音が同じため、“紅桃”は“鴻図”(遠大な計画)となり、また桃の花が未婚の男女の良縁をもたらすとされます。 柑橘の葉でさえも開花の結果を代表されるとし、ビジネスマンは大きな“金沙橘”という金柑の植木を買います。 “八仙花”という花はおのおのが独自の力で競い、最終目的を達成するという縁起をかついでいます。 “吊鐘花”という花は、新年の鐘の音をあらわし、新しい年に素晴らしい生活が降りてくることを意味しているのだそうです。 鐘を一回突くことにより、その年に財が築かれることを祈願するのだそうです。 “富貴菊”という花は「スペインの淑女」といわれ、大きな葉の上に多くの花びらが球状に成長するため、富をもたらす縁起の良いものとされています。

■ 四季金橘
花言葉:繁盛、大吉、大きな利益。
広東語の橘と吉が同じ発音なため、金柑の鉢植えが大きければ大きいほど幸運をもたらすという意義があります。 この鉢植えを家の北側のテラスにおくと、病気を予防し、財運を呼び込む効果があるといいます。

  

■ 桃の花
花言葉:大いに事業を発展させる。良縁を結ぶ。
中国の春節の時期に、花が咲くが実は成らず、花びらは2つ。 ホテルや店舗、ホール、役所のロビーなどに飾られ、事業の成功をもたらすとされます。
  

■ 水仙
花言葉:雰囲気が清らかで、高貴なイメージ。
水中植物は財産が豊富で優勢な位置にいる事のシンボルです。 水仙は中国の十大名花のひとつで、植物の歴史が長いだけでなく、品種が優れており、寒い冬に咲きますが、正月に華やかな雰囲気をかもし出します。 失業した人または昇進したい人は水仙を机の上に置くことにより、願いを叶えることができるそうです。
  

■ 五代同堂
花言葉:家内安全、家中が幸福になることです。
  

■ 国蘭、胡蝶蘭、兔仔蘭
花言葉:咲いている時間が長くない花で、高貴、あかぬけしているという意味。
蘭は種類が多く、一般的には富を招く高貴な花とされています。 また家庭円満をあらわしているので、応接間や書斎に置かれることが多い花です。
  

中国では農暦の新年がもうすぐやってきます。
みなさんもご紹介した花を家に持ち帰ってみてはいかがでしょうか?
あなたに幸運と光がもたらされるかもしれませんよ。

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2006-12-15 Update

第9回 北京国際モーターショー

中国の車輌販売台数は世界第2位を誇ります。中国の政治・文化の中心、及び国際交流の中心の1つである北京市にて世界自動車業界が最も注目する「北京2006年国際モーターショー」が11月18日〜27日に開催されました。 今回のモーターショーの展示面積は12万uで、世界20カ国の1500社の自動車及び部品メーカーが出品し、今回は初めて高級車専用の展示館が設置されました。参加者は当初予測された55万人を大幅に上回り70万人の史上最高人数となりました。 開催中の高級車の売上げはなんと1億人民元以上に昇りました。

トップクラスのブランドの中、普段なかなか見掛けない Bentiey Mulliner の限定車は初日に648万で買われて、同じ Bentiry社の Continental Flying Spur も初日に338万元で買われました。初めて出品のSpykerの3台も計1814万元で販売され、 その中、アジアでは初の販売の Spyker Peking-to-Paris は588万元、C8 Spyder 538万元、オランダの皇室に愛用される C8 D12Supercharger は668万元で販売されました。 手作りの Rolls Royce は660万元、Ferrariの599GTBは400万元台、F430は300万元台で2日目にそれぞれ販売されました。 Bentieyのブースでは、展示車獲得のためにその場で競売していた風景も見かけられました。

現在、急激に発展を遂げている中国では新興の高所得層が増え、彼らは贅沢品に対し強い関心を持ち始めています。 トップクラスの各車輌メーカーは高所得層をターゲットに、拡大する高級車市場でのシェア獲得争いが益々激しさを増していくものと思われます。




  


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2006-11-15 Update

大地に活きる人々

中国地図を広げて見れば気づくでしょう。 北方に広がる大草原、黄河文明発祥の地「黄土高原」、果てしない西北の大砂漠地帯、世界の屋根チベット大高原。とても気宇壮大な気持ちになります。
太古より、遥か碧空の彼方を流れ下る大河「黄河」。黄帝の末裔として時空を超え連綿と大地に活きつづける人々。黄河は、時には怒涛のごとく流れ、時にはおだやかに流れ、中華民族「母河」として人々を見守り続けています。
「大地」にまつわる作品は多数あります。パール・バック作の「大地」は、封建主義下、変動する中国社会の荒波に翻弄されながら生きていくさまを描いた作品です。また、現代小説では山崎豊子作『大地の子』が有名です。
「大地に活きる」とは大地に根ざした活き方であり、育んできた伝統・文化・歴史を包み込んだ独自の「クオリテイー」を受け継ぎ、未来へ継承してゆくことに他ならないのです。

中国が躍進を続け、経済が発展し、人々の暮らしが豊かになることはすばらしいことです。

香港中国銀行ビル(BOCタワー)は1989年に完成した高さ368mの超高層ビル。全面ガラス張りの三角形ビルで、頂上部分の2つのアンテナは剣のようなイメージを与え、香港市街を睥睨し威圧しています。上海市浦東新区では、「上海環球金融中心」と呼ばれる日本の森ビルが主導する高さ496mの超高層ビルが建設中です。
しかし今、大地に活きる人々は気づき始めました。
ギリシャ神話で出てくるイカロスは、蝋で出来た翼で空高く飛び、太陽の熱で溶かされ墜落死しました。旧約聖書に出てくる伝説上の巨大なバベルの塔は、実現不可能な天に届く塔を建設しようとして崩れてしまいました。天空の城ラピュタ(宮崎駿 作)は空に浮かぶ伝説の島を描いた物語です。

大地から離れて人々は活きていけないのです。

中国は波乱万丈の歴史を繰り返してきました。モンゴル族の「元皇朝」、女真族の「清皇朝」など異民族にも再々統治されました。漢皇朝・明皇朝など、農民庶民出身の皇帝が開いた皇朝も多く、「易姓革命」の国です。しかし、その歴代皇朝もすべて未来永劫には続きませんでした。中国の皇朝はほぼ300年毎に弱体化してきました。皇朝は代を継ぐにつれ、大地から浮き上がり、人々から離れていきました。異民族も中国という大地に溶け込み同化していきました。民族のエネルギーです。大地に活きる人々は農耕の民でもあります。争いごとを好まず、歴代皇朝を「頭上を通り過ぎる風の如く」としか認識していません。

日本の「バブル崩壊」の経験を懸命に学び、ソフトランデイングを目指す中国。大地に活きる人々は、しっかりと大地に足をつけ、未来を見据えることを忘れていないのです。




  


                                                 from 上海事務所




2006-10-13 Update

穴場というにはデカすぎる  〜 広州競馬場跡地のレストラン街 〜

広州といえば、すぐに思い浮かぶのは「食べる事」。
そうです、確かに「食は広州に在り」と言われる通り、広州はグルメ天国ということが言えます。
今回、ご紹介するのは、広州競馬場です。

きっと「競馬場と食事はどのような関係があるの?」と思われる方もいらっしゃるかと思います。広州競馬場はもともと多機能の運動場でした。1980年代の初期から黄埔港で輸入した多くの貨物を現在の競馬場の隣の税関検査場で検査をしていました。このためトラックのドライバーが近くで食事をする場所が必要でした。商才のある事業家がこの状況を見て、 隣の広い競馬場の敷地の中に食堂を作ったのが始まりでした。その後、お店の数がだんだん増えて、現在では全国のいろいろな料理が揃った「美食フードストリート」が形成されました。毎日夕方になると、競馬場を目指す乗用車がまるで浮遊する龍の如く長い列をつくり、黄埔大道を通り、競馬場に入ってきて広州の明るい夜景を映し出しています。 その中でも特色のあるレストランを3つご紹介しましょう。

■ 漁米之郷
"漁米之郷"は中国語で水産物と稲作が豊富な地方を指します。ここの最大の特色は、珠江三角州の各地の新鮮な食材を取り入れているところです。その中で代表的な料理は、パパイヤのジャガイモ巻で、パパイヤは美容によい効能があり、カレー風味のジャガイモが添えてある料理で、味はあっさりとしていますが田舎料理の雰囲気を味わうことができます。

■ 汕尾漁港海鮮酒楼
このレストランのメインは何と言っても汕頭地方の味付けの料理です。ここは食用の粉を使った主食に特色があります。その粉とは餅米の粉のことで、それを使って各種の主食をつくるのです。その中で“シェンガオグオ”という料理が名物料理となっています。そのつくり方は、ビーフンを餅のような形状にしたあと、細く切って麺にします。そこに挽肉の漬物と青野菜で炒めて出来上がりです。食感は粘っこくなく脂っこくもなく、癖になるかもしれません。

■ 九毛九山西老麺館
ここは山西風味の麺のお店です。麺のメニューが100種類以上もあり、その中で最も特色があるのが“筱麺ラオラオ”という料理です。言伝えによると、唐代の皇帝李世民が軍隊を慰労するための食品で、“ラオラオ”には慰労するという意味があるそうです。 このレストランの商号(九毛九)の由来について、疑問になられる方が多いと思います。それは、支払いが99銭(九毛九)で絶対に1元以上にはならないという安心価格で食べられるという意味だそうです。山西人が倹約家である事を象徴しているということだそうですが、現在の山西人が、はたしてそうであるかどうかははっきりとしていません。

最後に、なぜ競馬場と呼ばれているのかについてお話しましょう。1990年代に広州市が国際規格の競馬場を建設しましたが、競馬賭博があまりにも過熱しすぎたため3ヶ月で関連部署から経営停止命令が出され、その跡地に現在のような独特なレストラン街ができたわけです。


  


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2006-09-15 Update

北京市の犬 53万匹!

戌年のせいでしょうか・・・
今年北京では、犬を飼う人が急激に増えて来ました。
北京市公安局治安管理総チームが発表したところによりますと、今年2006年に入って6月30日まで実施していた年度検査が終了した結果、北京市全体で登記されている犬の総数は53万匹余りであることが明らかになりました。この数字は昨年の同時期より約10万匹も増加。2003年に「養犬管理規定」ができた時に実施された登録されている犬の総数は、13万匹余りだった事を振り返るとペット市場が急成長している事実が明らかになりました。

ペットの交尾請負会社と交易市場の調査結果によりますと、目下北京市には110件以上の交尾請負会社及び交易市場があり、所在地は主に郊外にあります。売買される動物は主に犬で、安いのは数千元で、高いのは数万元以上もしていました。純血のチベット犬(中国神犬と言われ、1匹の犬は3匹の狼と対戦できる凶犬である)30〜200万元で、郊外の別荘に住む金持ち主の警備犬として大変人気を呼んでいます。 犬飼育の増加に伴い、人が犬に襲われたり、朝の犬散歩の吠え声で熟睡中に起されたり等の苦情が発生しております。裁判を起こすまでの隣所同士のトラブルが頻発し、新しい社会問題となっており、政府もマスコミもペットを飼うマーナを守ろうという呼びかけを続けています。

ペット用品店、病院、美容院、スクールなどは今年、年商約3億元で昨年より約50%増と推算され、中国の新興産業として凄い勢いで発展を遂げています。


  


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2006-08-15 Update

上海に来たら絶対に外灘の夜景を見よう!

黄浦江と蘇州河の合流点から南の金陵路までの中山東一路沿いの黄浦江西岸は、外灘(英語名:Bund(バンド))と呼ばれ、租界時代の上海の中心地でした。 黄浦江はさまざまな船が忙しく走り、時折聞こえる汽笛が雰囲気を盛り上げてくれます。外灘に行くのに、昼か夜のいずれかのみと問われれば夜の方をお勧めします。季節にもよりますが、夜7時頃から10時まで外灘の建物群がライトアップされ幻想的な姿となります。また、黄浦江対岸の浦東新区の東方明珠タワーと摩天楼群の明かりもきれいです。100年近く前の建築物が幻想的に浮かび上がります。古い上海と新しい上海が一ヵ所に凝縮された外灘は上海一の観光スポットといえるでしょう。
夜景の楽しみ方は外灘の遊歩道を歩くのが基本ですが、それ以外に夜景が最も美しく見えるのは延安高架道路からでしょう。延安高架道路は上海市を東西に貫通し、外灘に突き当たると大きく左にカーブし中山路に合流します。この左に曲がる部分から外灘の古い建築群を一望できます。大きく湾曲した外灘の南側、つまり"第一カーブ"は毎晩ひどく渋滞します。


次に、外白渡橋―黄浦公園(Huang pu gong yuan)―黄浦江岸の遊歩道と歩いてみましょう。 外白渡橋は1907年の完成で解放前はガーデンブリッジと呼ばれていました。租界時代にはこの橋より北側は日本人居住が多かった場所で、この橋を北側から南側へ渡ると一気に欧米的雰囲気の広がる地域に変わったといいます。 この橋の下を流れるのは数年前まで汚染河川として悪名高かった蘇州河です。上海市はこの川の浄化を進め現在ではかなり改善されました。 この橋から北側を見て左手の茶色のビルは1934年に完成で、現在は上海大廈(ホテル)、解放前はブロードェイ・マンションと呼ばれました。イギリス人の管理職が居住していたといいます。 右手の青い建物はロシア総領事館。解放前もロシアが総領事館として利用していた建物です。解放前の日本総領事館もこの一画にありました(ロシア総領事館からやや東にいったところ)。 外灘の北端の黄浦江岸にある黄浦公園は、解放前はパブリックガーデンと呼ばれ、外国人専用であったといいます。 この公園の中に中華人民共和国建設に貢献した人々を記念する人民英雄記念碑が建っています。人民英雄記念碑の建設は上海市人民政府により中国解放1年後である1950年に既に決められていたが、建設はなかなか開始されませんでした。1987年に上海市人民大会で建設着手が決定され、デザインの公募等を経て、1994年に落成しました。

2005年4月には外国人登録数は 1位:日本、2位:アメリカ、3位:韓国で、日本人が30数%を占めています。しかし現在未登録の短期出張者を含めると1番は日本を抜いてアメリカだとの話が流れてきています。 ちなみに2006年4月現在の日本人居留登録数は約40,200人とのこと。 2010年開催の万博に向って、街並みだけでなく、そこに働き、歩く人波も更に変わっていくことでしょう。 そこには大きな商売チャンスがあるようにみえますが、確実に競争は激化しています。 しかし、外灘の歴史を刻む数多くの建造物だけは、時代の流れを感じさせぬほど、いつまでも威風堂々として、変わりゆく上海を見守り、永く上海の顔として残っていくのです。 
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2006-07-18 Update

「デッカイ」もの好きの広州人

日本もかつてはテレビコマーシャルで「デッカイことはいいことだ」と宣伝し、高度急成長時代を謳歌したものでした。 今の中国が30〜40年前の日本とよく似ており、旺盛な投資を行って先進国から技術を取り込み、着実に成長しています。 ここ広州は、ずいぶん昔(16世紀くらい)から商業で栄えてきた都市ですが、ここ10年は工業化と共に急速なインフラの建設が進み、ハイウェーが都市から農村まで延びて、各地に次々と住宅や大型のショッピングモールが出来ました。 都市の中心部から郊外に巨大な消費市場が形成されましたが、ここ広州では大きくないと認知してもらえない傾向があり、それらのひとつひとつの入れ物がとてつもなく「デッカイ」のです。 大型のショッピングモールにはいくつかのデパートやスーパーマーケット・アウトレットショップ・家具屋・家電量販店などが一箇所に集まっており、とにかく広さと大きさに驚きます。 それらのほとんどがディスカウントやポイントカードを発行したり、定期的に携帯電話にショートメールを送って、多くの顧客の取り込みに成功しています。

ショッピングをした後は娯楽ということになりますが、広州市郊外に世界一のゴルフの練習場があります。実際に行ってみると誰もがその大きさに圧倒されます。練習用のボックスが300あり、3つのショートコースがあります。練習場の周りにネットの様なものはありません。打ってもボールが外にでないくらい広く設計されているためです。それでも平日の夜はゴルファーでいっぱいになり、待たないと打てないくらいです。ゴルフ練習場の他に、長隆娯楽世界というレジャーの施設が隣接しており、 アジア一の大きさの遊園地・ナイトサファリ・世界一のワニ園・サーカス・一流ホテルなどのレジャー施設が整備されています。週末や連休になると駐車場が満車になるほどの賑わいを見せています。

この10年で平均所得がかなり向上したため、自転車で通勤するホワイトカラーの人はほとんど見なくなりました。これらの商業施設や娯楽施設における消費は日本とそれほど差がありませんが、底辺にいる多くの所得層にとっては高嶺の花です。庶民の所得を向上させることが目標といわれていますが、環境問題やエネルギー問題、食糧問題など様々な課題が山積みとなっており、どのような成長と発展を遂げていくのか楽しみです。


     
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2006-06-16 Update

“新”北京事務所 「南新倉」

太洋物産の北京事務所は、平安大道の東端の東四十条に隣接する場所にある新築のオフィスビル『南新倉国際大厦』に、今年5月16日に移転しました。 ビル自体は現代風で立派な建物です。急速に現代化が進められている国際大都会−北京−では特別に目立つビルではありませんが、 周りにある9棟の青い煉瓦で造られた倉庫風の古い建物が特別な存在感を印象付けています。

ここ「南新倉」は、600年の歴史を持つ宮廷御用の糧食倉庫として名が知られ、北京を都とした歴史を検証する存在として、北京では知らない人はいないでしょう。
北京の糧食倉庫は元の時代から建設が始まりました。元は都を北京に移してから糧食供給を確保するため、1275年に元大都から通州間に運河を造りました。当時、京杭運河から通恵河経由で護城河に入り、今の朝陽門辺りで糧食を降ろしていました。 「南新倉」は北京辺りで最も重要な糧食倉庫であったため城壁と同じ基準で造られました。壁の厚さは1.3〜1.5mで、天井の柱は直径30〜60cmの湖南・湖北・江西から運ばれて来た原木を使用し、煉瓦も一枚25kgの山東特製の煉瓦を使用しました。 「南新倉」は規模が非常に大きいのが特徴で、倉庫中に5000万kgの糧食を保存できます。10tコンテナに換算すると5000個もの量になります。

1900年、水路に代わり鉄道で南方米の輸送が始まりました。1921年から他の用途に使用されたため残念ながら大半は取り壊され、現在は9棟だけとなりましたが、“文物保護単位”に指定されています。
ちょうど今、内部の大改装が始まっており、改装後にはそれぞれバーやレストラン、ショッピングモールなどになる予定です。


        
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2006-05-15 Update

上海、明日に向かって架ける橋

かつて「眠れる獅子」と呼ばれた国、中国。現在は世界が注目する経済発展が著しい中国。世界経済の発展をひとり享受している中国。外貨保有高も日本を抜いて世界第一位となりました。その先導役を果たす大都会上海市の人たちは「世界一」が大好きな人たちです。
「世界一」の貯水量および発電量を誇る三峡ダム工事は着々と進んでおり、水没する地域の移民数も「世界一」。アポロ宇宙船が月面から肉眼で判別できた唯一の人工構造物と言われる万里の長城。現在計画中の北京―上海新幹線、リニヤモーターカー、立ち並ぶ高層ビル等、「世界一」とともに最先端技術を飽き無く求める人たちでもあります。 過去の遺蹟でも「世界一」です。多くの歴代王朝が悠久の歴史と燦欄たる文明を築き残してきました。北京の故宮博物館は「世界一」広い宮殿跡です。さらに歴史をさかのぼれ、人類の四大文明で現在に至っても尚存続する4000年の歴史を誇る黄河文明も自慢の種です。

上海は、歴史を振り返ることだけには留まりません。将来を見据えた持続的経済発展のビジョンでも「世界一」です。上海の「明日に向かって架ける橋」です。 2005年5月には上海市と羊山深水港を結ぶ東海大橋が全線開通しました。6車線の立派な高速道路で全長32キロメートル。同時に開港した洋山深水港は中国最大のコンテナ港でもあります。2020年に全工事が完工すれば取扱量が2500万TEUに上り、日本5大港の昨年の取扱総量の倍以上となり、世界最大級のコンテナ港になります。現在の世界第1位:香港、2位:シンガポールを抜き去り、東アジア地域のハブ港になるのは確実と見られています。 さらには、杭州湾を跨ぐ「世界一」の海上橋「寧波杭州湾海上橋」の建設もあります。大潮の時に川の流れと潮がぶつかり合って潮が河口から逆流してくる景観は南米アマゾン川のポロロッカが有名ですが、銭塘江の大逆流も後には引きません。この銭塘江が流れ注ぐ杭州湾。この杭州湾にいま壮大な海上橋の工事が進んでいる。完成は2008年、開通は2009年の予定で、総工費も14億米jと中国道路建設史上最高額となります。開通後は上海-寧波間が現在の4時間から2時間に短縮されます。

今、「眠れる獅子」はふたたび目覚めました。21世紀は中国アジアの時代こそ相応しい。歴史学者アーノルド・トインビー博士の著作「歴史の研究」による「歴史は繰り返す」ではありませんが、中国は数世代掛かっても中華民族の耀かしい歴史を再現させるのではないかと強く感じます。


           
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2006-04-17 Update

中国最大の輸出商品商談会「第99回 広州交易会」が開催!

中国の外貨準備高が、この3月末に8,751億ドルとなり、今年中にも1兆ドルを超すのではないかといわれています。そのような中で、第99回 広州交易会がスタートしました。広州交易会は中国商務部の主催で、 全国の企業が参加する中国最大の輸出商品商談会です。開始以来ずっと広州で開催されているため、通称「広州交易会」といわれています。

開催期間は第1期が4月15日から20日まで、第2期が4月25日から30日までとなっています。 会場は旧会場流花路と新会場の琶洲会場に分かれ開催されました。2つの会場は地下鉄で繋がっている他、両会場を結ぶ無料シャトルバスも運行されています。新会場の建物は一昨年に新しく建造されたものであり、一見して空港の旅客ターミナルを思い起こすような近代的で斬新なデザインです。 規模も非常に大きく(15万u)、会場に入るや否や、その品種と数量の多さに圧倒され、どこから回っていいのかわからなくなるほどです。現在、新会場の隣で第2期工事の施工がはじまっており、これが完成すると流花路会場は無くなるのだそうです。

新会場では家電・機械製品などの展示がされていました。さすがに世界の工場といわれるだけあって、会場の中は出品者の熱気がむんむんと伝わってきます。来場者の多くは外国からのバイヤーで、取り扱える商品の参考にするだけでなく、中国にない商品を知る上でビジネスのヒントを得るために来場しているようです。 これから中国との商売を検討される方は、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。
新しい発見やビジネスチャンスに出会えるかもしれません。

           
                                                      from 広州事務所



2006-03-15 Update

黄砂予報発令!

今年も黄砂の季節がやってきました。黄砂を知らない方のために簡単に説明しますと、中国大陸の黄土地帯の細かい砂が、乾燥した強風で吹き上げられ、次第に降下し街全体が薄暗くなってくる現象のことを言います。言葉で表現すると、粉塵の嵐という感じでしょうか。春の時期に発生しますが、視界の悪さだけでなく、ものすごい強風でたびたび災害を引き起こします。場所によっては折れた木で屋根が破損したり、風で飛ばされてきた石によって窓ガラスが割れたりする被害もあります。
北京では毎年1、2回は強烈な黄砂が発生しています。黄砂のときは、みんななるべく外に出ないようにしていますが、どうしても外に出なければならないときは、サングラスやメガネ、女性については顔にスカーフを巻いて完全防備で出かけている人が結構います。そんなひどい状況でも自転車に乗っている人がいて、とても危ないなと思いながら見ています。

黄砂の発生する時期に困るのは、まず洗濯物です。外に干せないので部屋の中に干すか、黄砂が少なくなるまで待たなければなりません。また、愛犬の散歩も昼間にできないため、夜に散歩をさせている人を見かけます。視界が悪いため車の運転にも支障があるうえ、強風でスピードが出せないため渋滞になることがあります。学校は休みにはなりませんが、屋外での体育の授業は中止になります。ゴルフも当然できる状況ではなくなってしまうため、事務所のゴルフ好きの社員は黄砂が嫌いと言っています。

黄砂が発生すると予定変更しなければならないので、北京では天気予報だけでなく黄砂についての予報も実施されています。みんなを困らせている黄砂ですが、黄砂で汚れた車を洗車する人がたくさんいるため、洗車場の店員だけは喜んでいるかもしれません。
この時期に北京を訪れる方は、必ず黄砂予報をご覧になったほうが良いでしょう。

                   
                                                      from 北京事務所



2006-02-15 Update

中国の旧正月 新年挨拶メールはなんと126億本!

上海で初めて旧正月を迎えました。今年は1月29日(日)が旧暦1月1日で、1月28日がいわゆる大晦日でした。大晦日は昼過ぎより上海のいたるところで花火爆竹が始まり、新年のカウントダウンの頃には、もうひっきりなし状態で、音のすごさに加え、火薬の燃える臭いが街中に漂っている感じでした。私の住んでいるマンションでも、一階で花火を打ち上げていましたので、ちょうど私の部屋の高さで爆発し、良くいえば、一番綺麗なところが見えるのですが、悪くいうと危なくて、ベランダには燃えるものは出せない状況でした。

北京では13年ぶりに爆竹花火が一部の地域で解禁され、情報では一晩で1,800トンも燃えカスが出たとの話です。各地のゴミの量は、上海では1,100トン、北京で458トン、浙江省・杭州市256トン、江蘇省・南京市100トンにも及びました。北京では清掃スタッフ約1万人と清掃車236台に燻っている火を消すための武装警察5千人が動員され、上海では市容環衛部の指示で3万5千人が29日朝まで徹夜で掃除して綺麗に片付けられたとの報道がありました。この日だけでなく、新年5日にあたる2月2日前夜と、さらに新年15日目にあたる2月12日前夜には、再び花火爆竹の嵐となりました。 ちなみに北京で販売された花火や爆竹の価格は、最も安いもので0.12元、高いものでは10,950元で、全体の3分の2が100元以下ということです。

また、中国では携帯電話のメール(SMS)を利用した新年の挨拶が流行っています。その数はものすごい数で、上海移動、聯通によると大晦日に発信された携帯電話メールの数は3億4200万本で、それも1月28日の23時から1時間の間に集中したとのことです。中国全体では旧正月期間(1月28日〜2月4日)に全国で送信された携帯電話メールは、なんと126億本もあったそうです。

     
                                                      from 上海事務所



2006-01-16 Update

広州は “ 地下鉄の時代 ” へ

2005年12月26日、広州の地下鉄は2本の新しい路線が開通しました。これまで、広州の地下鉄は2本の路線があり、2本の新しい路線の開通によって、総延長は約60Km。4路線がさらに縦横に交差して、もともとの十字交差する簡単な路線網から、様々な地区へつながる広州地下鉄ネットワーク網が形成されました。
現在の広州では、自動車だけでなく地下鉄も交通の中心となってきており、都市の発展に重要な役割を果たしています。地下鉄計画の始まった1993年当時、広州市の財源は約60億人民元でしたが、概算で130億人民元かかる地下鉄1号線の建設を敢えてスタートさせて、近代化へ向けた地下交通体系を作り上げてきました。政府のこの施策と決断があってこそ、現在の発展した経済と都市が形成されたといえるでしょう。

地下鉄の開通によって人々の交流が活発となり、商業・文化が発展し、社会が形成され、地域経済がより大きく成長しました。同時に地価の上昇によって不動産の価値も上昇しました。交通渋滞の緩和という面だけでなく広州の経済にまで、地下鉄が大きく影響を与えたといっても過言ではありません。1999年、広州の地下鉄1号線が開通したことで、天河城(ショッピングセンター)の売上は2割増加しました。また、地下鉄烈士陵墓園駅前の中華広場(ショッピングセンター)の店舗賃借料も数年間で数倍に上がりました。3号線地下鉄の路線計画のニュースだけで、対象地区の住宅の取引が活発になり、不動産価格が急騰を始めました。

現在計画中の大学城の新路線は、“南拓軸”に沿って計画されています。広州から科学城、国際会議の展覧センター、広州生物島、広州大学城、広州新城、南沙経済技術開発区、南沙新港区までの沿線は2百平方キロメートルの都市の用地があります。ここは経済・科学技術・文化の集中地域となり、将来性が期待される地域となるでしょう。今後6年間で、広州は毎年新しい路線の建設と開通を控えており、2010年までで広州の地下鉄は総延長200kmを超え、広州を大きく南北に貫きます。2010年に広州で開催されるアジア競技大会の時には、8割以上の競技場は地下鉄で結ばれる予定です。その頃には広州では公共交通機関における地下鉄の利用者の割合は1割から5割に上昇し、250万人/日に利用されると見込まれています。

     
                                                      from 広州事務所



2005-12-15 Update

中国のタクシー

中国のタクシーの特徴といえば、話好きのタクシードライバーが多いということでしょうか。中国の中でも特に北京のドライバーは話好きです。日常生活の話だけでなく、政治や国際経済の話もしてきます。
また、乗客の出身地や仕事の話もいろいろ聞いてきます。さらにホテルでは、客待ちの時間に運転手同士で話をしたり、トランプゲームなど遊びながらも常に情報交換しているためとても物知りです。

その一方で、最近いろいろなタクシーがいるので注意が必要です。正式なタクシーの免許のないいわゆる「白タク」や、詐欺まがいの行為を行なったり、 メーターを改造して不当な料金を請求するドライバーも増えています。特に、空港の国際便のタクシー乗り場は、その手のタクシーが結構多いので要注意です。 そのため、北京や上海ではメーターの不正操作を防止するために、空港からの高速道路の出口や有名な観光地にタクシーメーターのチェックポイントがあります。
また、逆に乗客にも怪しい人がいるので、防犯のため助手席は女性か子供しか乗せません。通常、運転席と後部座席の間には鉄の仕切りがあります。助手席と運転席の間にも仕切りがあるタクシーも半数くらいあります。街中は良いのですが、郊外へ乗客を運ぶ時にはドライバーも警戒しています。

タクシー車両でも北部と南部でも車種に違いがあります。北京では、まだダイハツ社のシャレードと同じ型の車種のタクシーが走っているのですが、狭いので政府から2年後を目処に全面的に取り消すよう指導されています。一般的に、北京・上海ではVW社のサンタナ、広州ではVW社のジェッタが多く、特に広州のタクシーは結構スピードを出すので怖いこともあります。
もし中国へ来ることがあれば、みなさんもタクシーを情報収集等でうまく活用してみてください。


       
                                                      from 北京事務所


2005-11-15 Update

40万円のナンバープレート

10数年前のかつての中国は、自動車といえば政府の車か国有企業の社用車で、車種は中国国産車やフォルクスワーゲン、そして一部の日本車でした。 近年の自由経済の発展によって、今では個人で所有できるようになり、たくさんのメーカー・車種・グレードから選べるようになりましたね。 ここ上海でも、ベンツ・BMW・アウディ・GM・ホンダ・トヨタ・日産といった外国車から、中国国内で生産された中国国産車まで、たくさんの種類の車が走っています。

中国では車といえばかつては高級品という感じでしたが、最近では所得の上昇と手の届く価格の国産車も多数製造されていることもあり、以前に比べて手に入りやすくなりました。 中間所得者層も増えましたが、驚きは高所得者層です。 ベンツ・BMWなどの欧米の高級車を買う人は、そのまま現金で支払う人がかなりいます。 中国のお金持ちはものすごくお金を持っていて、先日私の知り合いで子供3人にベンツを買ったという羨ましい方もいました。生活が豊かになり、たくさんの人々が車を所有することになり、大都市では渋滞が起きています。 昔はクラクションをすぐ鳴らして、 とてもうるさかったのですが、さすがにうるさすぎるため、法令で規制がされました。 また、上海では渋滞を制限するために車の登録に制限をかけ、5年前程からナンバープレートを競売方式で取得するようになっています。 毎月一度、競売が行なわれますが、 先月の平均落札価格はなんと2万6千元(日本円で約38万円)。ちなみに9月は2万9千元(日本円で約42万円)でした。 縁起の良い番号はさらに高い値段で取引がされます。 当然、車の代金とは別に払います。 ナンバープレートに40万円なんて、すごいですね。

              From 上海事務所